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diary [最近のできごと]
2011年4月15日
4月11日。
地震からちょうど1ヶ月のその日は、朝にペットボトルシャワーを浴びながら
「寒さも緩んでだいぶ楽になってきたな~」と思っていました。
季節も時間も止まっているかのような、存在したような存在してなかったような、
めまぐるしく早く過ぎたような、苦しいのにまだ息を止めてなきゃいけない長い時間のような
そんな変な一ヶ月だったけどやっぱり季節は進んでるんだ。
・・・なんて思っていたその日、山口県のガス救援隊の方が来て開栓してくれました。
ペットボトルシャワーとはいえ体を洗ったばかりだし下水処理機能の低下もまだ心配なので
その日のお風呂は見送ったけど、ライフラインが整ったことは誰かに聞いてもらいたくなるほど
本当に嬉しいことでした。
いつもの数倍の電話やメールをした一ヶ月。
家族や友達の温かさを感じた一ヶ月。
生活、仕事、お金の寄付、物資の寄付、ボランティアとしてマンパワーの寄付。
そのことを考えて、動いた一ヶ月。
気持ちはなんとなく3段階あって、
・すごく前向きに明るく平常心を保とうとしていた最初の10日間。
・頭でっかちになって見ること聞くことなんでも否定ばかりしてみたり、
不便な生活に自ら窮屈をプラスして体も心も頭もキュッと硬くなってしまった次の10日間。
・そして、そのどちらもの感情が行ったり来たり浮き沈みしているこのところの10日間。
すぐにできることと、時間が経ってからできること。
すぐにアクションを起こせる人と、時間の経過と共に必要なタイミングで手を貸せる人。
今は家族、子供のためにできるだけいつもの生活を共に過ごすことに一生懸命である人。
どれも必要で重要だと思います。
津波被害の片付けを手伝ったお宅では一階の天井には浸水の跡があり、
食器棚の器からは海水が出てきました。
そのお宅のご夫婦から水が満ちて行く様子を聞きました。
避難所にも一緒に行って、現状と思うところを教えてくださいました。
「今は前だけを見たいからしばらくは誰とも話したくない」と家族を亡くした友人は言いました。
被災者というくくりと線引き、被災の程度や場所によって違う感情。
知れば知るほどいろんな気持ちが波打って、たいして影響力のない私でも、言葉や文書にする事は怖くて難しくて、でも避けられない話題で、、diaryを更新することはどうしても後回しでした。
うちの電気が3日目に復旧してからは、ほぼ毎日パンやスコーンやお菓子を焼いています。
私自身その時間はワクワクして明るく集中できて、「考えることを休む」時間でもあります。
震災直前にたっぷり材料を補充したばかりだったので、いろいろ粉やバターの種類を試したり、
配合を変えてみたりと研究実験の時間にもなっています。
我が家の常備食にする他、お友達におすそ分けしたり、お手伝いに行ったお宅に差し入れしたり。
作る楽しみ、食べる楽しみ、誰かに食べてもらう楽しみ・・・1度で3回嬉しくなるんです。
編物もしています。
でも長い時間集中できなくて毎日少しずつしか編物と向き合えていません。
今はパーツを編み貯めているカンジ。でも少しずつでもちゃんと編んだ分は編み進んでる。
もう少しパーツがそろってきたらカタチにしてみようかな。
1つでも仕上がったらどんどん流れに乗れそうな気もするし。
でも、こういうときって本性が出るんですね。
食いしん坊の性が編物より勝ってしまっているのです。
今は糸を編んでできたパーツをカゴに貯めていくより、作って焼いたものを食べて胃に溜める方が楽しいみたい。恥ずかしながらホントのこと(笑)
あれから「今、できること」「何ができるんだろう」を見たり聞いたりしない日はないですよね。
行動の早さや派手さも時には必要で、それは力やお金や影響力のある人たちにお任せしよう。
専門的な知識や技術を持ってそれを仕事としている方達には、感謝して遠慮なくお任せしよう。
私個人としては身に付いた省エネ生活と小出しになるとは思うけどお金とマンパワーの寄付を続けよう、と思っています。
この震災に対してはwenziとしてはまだ動いていません。今はまだ気持ちだけです。
でも少しずつ整理はできてきました。
スタートはゆっくりでも継続的に長く長く長く...回数を重ねて続けること、をしていきたいと考えています。
みんなで楽しく明るく集まることで協力し合えたらいいな。
だって「wenzi」だもん。私がこの言葉の意味を忘れるところでした。
wenzi:スワヒリ語の名詞/複数形 意味は『仲間』『友達』『パートナー』
停電、そして灯油が手に入らなかった期間、wenziニットがみなさんに寄り添ってお役に立てたと聞いて本当に嬉しかったです。聞かせてくれてありがとうございました。
ここに今の気持ちを書いた今日を境に私もまた一歩、少しずつ切り替えていけるかも。
そうしたいです。
街中は一見普通だけど、「普通」に見せようと必死なカンジもしています。
でも最初はみんなそんなカンジで様子をみながら立ち上がっていくのかもしれませんね。
だってあんなことが起こったんだもん。
すぐに「普通」になるわけないし、「すぐ」に普通にならなくたっていいよ。。。
この一ヶ月、被災地ではもちろんのこと、その他でも一枚も写真を撮っていませんでした。
いつもならパンやお菓子が焼き上がると自然な流れで写真を撮るのに、それさえも気が向かずにいました。
写真、、、撮ろう(笑)
向かいの河原の桜も咲いてきたことだし、カメラ持ってお散歩だ。
明日はヨガで深い呼吸をして体を伸ばしてこよう。
そしてあさってはマンパワーを使いにまた行ってきます。